両子の林家

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2006年 06月 08日

30 名家だらけの東国東――出自の詐称

      【両子林家の歴史…… 三 書き足しの章(9)】
d0069627_18563433.jpg 長々と下手な文章で書いたが、いつかは我が家の歴史を書き残そうと思っていた。父の理が富永村の旧庄屋の子孫である義理の伯父・三浦壮(さかん)に三浦家の歴史を書いてもらう様にお願いしたことがある。壮は書き残す前に亡くなってしまい、本当の三浦家の歴史を知る人がいない結果となった。 安岐町・富永の三浦 壮 氏とその家族……昭和22年前後か
 私も過去色々な我が家についての話を耳にした。本林兵介藤直が歳神社に奉納した一双の灯籠を関係ない別家の林家の人が何の根拠もなしに「この人が我が家の先祖です。」と言ったり。「我が家が昔庄屋をしてました。」と外で話したり。甚だしいのは、庄屋の林家は杵築の方から来たとか、入庄屋の制度上の意味も知らずに、あの家は入庄屋であると言ったり。重光葵が外務大臣や改進党総裁になり偉くなったので、或別家の林の結婚式で当家は重光家の親族でと騙りをしたりと枚挙に暇がない。そんなことを言う人間にかぎって、自分の曽祖父母の名前及び出自すら分からず、ましてやその前のことなど皆目知らない。一番始末に困る人は旧家の墓を自分の先祖であると人に言ったりする。昨今金が貯まり、少しばかりの肩書きが出来たからといって系図を捏造して家柄詐称に走る傾向が実に多い。学歴詐称は問題になるが、家柄詐称はほとんどの人が問題視しない。出自の詐称をする人は自分の先祖に誇りが持てず、自分自身の基盤が揺らいでいるから、家柄詐称等をして上辺の誇りを持とうと考えるのであろう。先祖がたとえ水呑百姓であろうと名子・譜代であろうと、懸命に生きてきたからこそ自分が存在するのである。たとえ出自がそうであったとしても貴賤で先祖を選ぶべきではないと思う。そんな考えを持つことは、先祖を馬鹿にして自分自身をも否定することにつながると私は思う。
 私の母は「東国東ほど家柄を言う土地は無い。皆自分の家は名家だと言い、他の家を馬鹿にする人が多い。ありえないことだが名家だらけである。」と昔からよく話した。そんなこともあり、いつかは林家の口伝等を書き残す必要があると思っていた。
 そんな矢先、私は綾部敦氏と知り合い、彼の紹介で三浦梅園研究家の岩見輝彦先生(早稲田大学文学博士・三浦梅園資料館勤務)との出会いにより、「村の庄屋さん」等に関する勉強会が始められた。それに刺激され、「両子林家の歴史」を書こうと思った次第である。
 最後に、私は赤穂義士と林姓は相性が非常に良いのではなかろうかと考える。幕府の儒官であった林大學頭信篤も浪士達に好意的であったし、一時期大三郎を養子にしたのが丹後の国須田村の眼科医・林文左衛門であった。今日迄四十七士か四十六士かで論争を巻き起こしてきた寺坂吉右衛門の各地に残る伝説に絡み、顔を覗かせる上方の戯作者「都の錦」も林忠助・宍戸光風・宍戸鉄舟等の名を持っている。「都の錦」は林忠助名で『武家不断枕』を書き残している。
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-完-
写真【墓碑を撮影する岩見 輝彦 氏】
……同氏は両子村から南へ7キロの集落、富清から糸永地区にかけての習俗の報告をしている。年に数度の神社祭礼日に持ち出し掲げられるノボリ旗の報告である。 岩見家の親孝行
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by f-hayashi | 2006-06-08 15:27 | 林家の歴史


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