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両子の林家

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2006年 06月 11日

9 林壮三郎の妻および惜しまなかった学資

              【壱 両子林家歴代の章】
 壮三郎は、最初に杵築重光家より直愿の妹であり、父方の従妹である順子を娶るが、順子は十九歳で難産の為死亡する。次に旧糸永村庄屋矢野家の女をもらうが、母の貞子が追い出し、三番目に貞子の姪であり旧夷村庄屋で医師の隈井春兆の娘かぢ を嫁とする (林家に眉を剃ったその写真が残る)9 林壮三郎の妻および惜しまなかった学資_d0069627_17233172.jpg
 かぢ は絶世の美人と伝えられている。両子寺の初午の時は門を開き下の坪に大きな木樽に仕込んだドブロクを初午詣でで家の前を通る人々に振る舞った。その時は、かぢ自らドブロクを注いで回った。人々は年一回林のおかみ様の顔を拝まれると楽しみにしていたとのことである。しかし壮三郎との仲はあまり良くなく、生涯壮三郎は順子のことが忘れられず、死に際して十九歳で死んだ妻のお順の側に埋葬してくれと遺言し亡くなる。
 その壮三郎の功績に、親族の子弟への学資援助がある。重光宗家の二男・煥古は杵築藩士荒木周古の養子となり、妻は従妹で壮三郎の妹サイを娶り、長男の道・二男の義穂・三男の哲也をもうける。9 林壮三郎の妻および惜しまなかった学資_d0069627_16124359.jpg戸長職や県議会が開かれると議員に選出されたが、明治二十二年八月三十一日・四十三歳の若さで亡くなり、サイと三人の男の子が残される。煥古は三人の子の学資金を残していたが、煥古の実弟重光彦三郎がその学資金を使い込んだ為にサイは学資に困ったが、兄の壮三郎が長男・道の東京帝国大学卒業迄の学資を援助し、道は後に三井財閥の重役となり、伯父・壮三郎の恩に報いる為、逼塞し学資に困っていた父・理をはじめ兄弟の学資を援助するのである。 写真 新宿百人町の荒木家 →
(荒木家を訪問した壮三郎と荒木の親族の記念写真を林家アルバムより取り込み)

 煥古の二男・義穂は師範学校に行き教師となり、後叔父の彦三郎のあと南安岐村村長となる。義穂は一時重光宗家二十四代直幹(大策)の養子となったが、素行が良くなかった為に追い出された。それ故に兄弟の中でただ一人重光姓を名乗っている。
9 林壮三郎の妻および惜しまなかった学資_d0069627_1622435.jpg 宗家の長男・重光直幹は最初に壮三郎の姉・源子を娶るが、源子は二十一歳の若さで亡くなり、次に隈井春兆の娘・毛登子をもらうが遂に子に恵まれなかった。弟の煥古の二男義穂を養子とするが、前に書いた様な事情があり、弟の彦三郎(←写真は晩年の重光彦三郎)を準養子として重光家二十五代を継がせる。彦三郎は最初に岩屋村庄屋の小山田家女を娶るが離縁し、次に隈井春兆の娘・タ子(種)を妻とする。一人娘の重子が早世した為に杵築重光家二男・葵(妹の松子と直愿の子)を養子に迎える。

by f-hayashi | 2006-06-11 20:50 | 林家の歴史


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